Daniel Yangの沖縄旅行記

四日目の三。「平和祈念公園」

沖縄本島の南部この旅行は三泊四日でした。
せっかく二週間以上も休みがあるのに、三泊四日とは、短いようですが、
僕が過ごした四日間は、暑い陽射しが照りつける梅雨入り直前。

今回の主な目的は、インターネットで公開することを前提にした写真撮影。
背景は、建物や、人など、肖像権を気にする必要の無い「空」
それも、青空が欲しいので、雨が降らないことは有り難いのですが……、

連日、炎天下でカメラを持っての散策と、
相変わらず夜更かしネットサーフィンが祟り、
「もう充分ヴァカンスを満喫しましたぁ。」
と誰にともなく、お礼を言って、帰路に就きたい四日目でした。

知念城跡を後にして、車に乗り込んでも
「車を止めて、休憩したい。」
今度は、トイレも飲み物も得られる所で……。
弱音を吐いております。

「公園なら、駐車場も、トイレも、売店もあるはず。」
平和祈念公園に赴きました。

駐車場に車を止めてみたものの、エンジンとエアコンを付けたまま、駐車場で寝ているのも申し訳ない気がして、車を降りました。

ベンチでひと休みしていると、バスを連ねた団体さんが降りてきます。
降りてきたのは、白人の高校生?
いや、たばこを吸っている人もいるから、大学生でしょうか?
売店で売っている笠を早速購入して頭に被り、アイスクリームを舐めながら僕の前を通り過ぎます。
決してお行儀が良いとは言えませぬが、見ている僕も、頭には笠代わりにバンダナを巻き付け、ペットボトルのお茶をラッパ飲みしながら、たばこを吸ったり、ベンチに横になったりしています。
あらら? こう描写してみると、僕ってとってもお行儀が悪いですね(..;)
と、冷静に振り返るのは、帰宅して旅行記を書いている現在。
平和祈念公園の駐車場で、僕がアメリカ人(推測)青年たちに心の中でつぶやいたのは、
「君たちは、戦勝国の子孫として気楽に沖縄観光に来ているのかもしれないけれど、
君たちのおじいさんたちだって、沢山の戦死者を出しながら、ここで戦ったのだよ。」
でした。
勝ったとしても、敗戦国の比では無いにしても、自国の若者が沢山戦死する戦争を、アメリカの人たちが、どう思っているのか。
疑問が浮かびました。

このサイトでは政治や近代史、時事問題にはあまり触れないことにしているのですが、
沖縄旅行記を書いていて全く触れないワケにもイカナイので、沖縄戦の概略なんを調べてみました。
沖縄戦
一九四一年から始まった日米戦争の末期。
一九四五年三月二六日、米軍慶良間(けらま)諸島上陸に始まり、
六月二三日摩文仁(まぶに)丘で牛島満軍司令官と長勇参謀長が自決するまでの戦闘を指して沖縄戦という事が多いようです。
五月に首里を撤退した日本軍司令部が、摩文仁で指揮を執ったため、
この地が最大の激戦地であり、終焉の地となったそうです。
日本人の戦死者約二十万人。
アメリカ軍の戦死者一万数千人。
日本人の戦死者のうち半数、約十万人が民間人であり、
戦闘により殺害された人に加え、自決も多かったようです。
長くなったので、続きは後日。

最終日の四。「戦没者墓苑」につづく。
2002年6月24日記

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