Daniel Yangの沖縄旅行記

四日目の二。「知念城跡」

「同じ「城跡(ぐすくあと)」と言っても、昨日訪れた世界遺産の今帰仁城跡とは、随分違うなぁ。」
と思いつつ、「知念城跡」の標識を頼りに、舗装された急な坂道からけものみちへ分け入り、しばらく進みます。
鬱蒼とした草深い斜面を切り開いて畑があります。
「ホントに城跡があるの?」
と疑問が浮かび、
「先ほどの別れ道で間違えたか?」
と自信を無くしつつも、畑の脇のあぜ道を進み、再び草深いけものみちに入ります。

すると、再び斜面を切り開いて明るい広場に出ました。
知念城の正門(記憶はあやふやですが……m(v_v)m)ありました。
左の奥に写っているのが、知念城の正門デス(記憶はあやふやですが……m(v_v)m)
写真では木の陰に隠れていますが、門の上部がアーチ型になっています。

僕がこの門の前で沖縄県教育委員会による史跡説明を読んでいると、中から出てきたカップルとすれ違いました。
けものみちに入ってから初めて出会う人間。
気軽に「こんにちは」と言う場合もあるのですが、
このカップルとは、きまり悪くすれ違いました。

僕も石の門をくぐりました。
城内には、(今となっては伝説的な)イザイホーが行われる聖地、久高島への遙拝所があります。
「遙拝所があります」と書いて冷や汗を垂らしている僕は、そんな神聖なところであることを先ほど知ったばかりです(;^_^A
全く予備知識を持たずにぶらついていた当日は、「知念城跡は、どこまでが、城内でどこからが城外だかもわからぬなぁ」なんぞとぼやいておりましたm(v_v)m
周囲を歩いていると、知念村指定・史跡「知念按司の墓」→ なる標識を藪の中に発見。
行ってみることにしました。

ちなみに、今回画像が少ないのは、知識は無いながらも、神聖な雰囲気に遠慮しているためです。
いや、それだけではありませんな。
昨日(三日目)に果たせなかった「ジャングルの散策」は、この「知念按司の墓」までの道のりで叶えられたのですが、
「切り開かれた畑」「草深いけものみち」をいくつか越え、
さらに、急な斜面を登りる道程では、カメラを構えるには危ないし、
汗を掻いて、息を切らして、
とても画像ゲットする気持ちの余裕が無かったのです。
ですから、
「あ、視界が開けた」
と思ったときに撮った一枚も
右のようなカンジでした。
ようやく気持ちに余裕が出たのは、お墓から知念城跡に戻る道で、カメラで蝶々を追ってみました。
ニュースでは「モンシロチョウ大発生!」だった沖縄だそうですね。
僕も沢山見ましたが、
動くものを撮るのは難しいですねぇ
モンシロチョウは一枚も(ピンぼけ、ブレでさえも)ファインダーに入りませんでした。
今まで自分が「動かないもの」ばかり撮っていたことに気づきます。
以前、ワタクシが撮る写真を「年寄りの風景だ」と言った人がいましたが、
なるほど、そういうものかも知れませぬなぁ。
動き回るものと言えば、最初は「なんだ?! あれは?!」
「バタバタバタ!!」と僕の周囲を飛んでゆく虫(たぶん「バッタ」)
や、ミツバチなんぞがありましたが、もちろん写真には収められず。
セミが鳴くのはまだ、わかるとして
「ほおぉ、ほけきょ」
とウグイスが鳴くに到っては
「今の季節は?」
と疑問符がワタクシの頭の周りを廻りましたです(笑)
そんな、大自然豊かな知念城跡でした。

ところで「知念城跡」は、国の史跡なのですが、特に料金を取って維持を図っている様子もありません。
つまり、無料ですが、サービスも無しと、いふ状態です。
けものみちの入り口「知念城跡=>」なる標識の対面に駐車場がある以外には、
三十年前に建てられたままになっている朽ちて読みづらい、「沖縄県教育委員会」の案内のみ。
水飲み場も、トイレもありませぬ。
今回の旅行でのベストショットとなった右の写真を撮り終わった後、もぞもぞしてしまいましたf(^ー^;
僕がもぞもぞしているとき、女性の神官が現れ、遙拝所で拝み始めました。
お祀りが済んだ神官さんは「こんにちは」と明るく声を掛けてくれたのですが、
僕はきまりが悪く、おずおずと会釈をするのみ。
「もぞもぞしていただけでヨカッタ。」
と胸をなで下ろしました(^◇^;)
思い出すのは、先のカップル。僕と出くわして、同じような胸をなで下ろしていたのではないかと想像します。
ある意味で自然を満喫出来る「知念城跡」でした。

最終日の三。「平和祈念公園」につづく。
2002年6月15日記

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