Daniel Yangの沖縄旅行記

三日目の三。「今帰仁城跡」

受付の前に石柱がありました。

石柱の背後に猫がいました。

人に慣れているようで、観光客には目もくれず、惰眠を貪っています。
ここでも旅の道連れとなった、県内の中学生が「おいっ、死んでるんぢゃねぇか?」と突っつくと、のびをしました。

が、ノビをした格好のまま、眠ってしまいました(笑)
今帰仁城(なきじんぐすく)は、世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」を構成する9つの資産の一つです。
VGA ; 640×480 88,194byte2000年12月、世界で11番目に登録されたユネスコの世界遺産です。
一四一六年に琉球全土を統一した「尚巴志」に征服されるまで、北部を治める北山王の根拠地でした。
と、百五十円の観覧料を払うと貰える「案内」に書いてあります。

山を石垣で囲ったこの山城は、全景を差して「こんなお城です」という風景を撮りづらい。
と言い訳をして、「壁紙のコーナー」では、左上の画像をアップロードしましたが、
石垣だけの画像を公開したのは、それだけの理由ではありません。
草を刈りつつ発掘中のこの城で、石垣から左に視線を移すと、刈った草を燃やした煙が、まるで狼煙のようだったからなのです。
炎天下の中、石垣を撮影した城の一番奥「志慶真門郭(しじまじょうかく)」で草を刈り、発掘を続ける調査員?学芸員?さんに別れを告げ、
主郭、御内原(うーちばる)を通り、大庭(うーみや)に戻りました。

ここからは、平郎門まで一直線の石段の向こうに海を望む風景がゲットできそうでした。

そこで、石段の脇に咲いていたユリやカラジウム?を撮りながら、人がいなくなるのを待ちました。
中学生がバスに乗り込み、
中国語を話す団体客(台湾のかたでしょうか?)が城を降りて、
左下の画像をゲットしました。
そのとき、右の猫に餌をやっていた受付のおばさんも手が空いたのでしょう。
「どちらから、いらっしゃったの?」
と僕に尋ねられました。

「東京の山奥です。」
と応えると、
「東京にも山奥があるの?」
と、期待通りの反応をいただけた上に、
「シャッター押しましょうか?」
と、僕のカメラを差されました。
でも、僕は……なんとなく辞退してしまいました。
ですから、この旅行中に約450枚撮った写真の中に、自分自身の画像は一枚もありません。

そんな、もったいないことをしているから、
今帰仁城跡を降りた後、
「まだ、時間があるので、もう一つ観光スポットに行こう!」今帰仁城から海を眺める
と、沖縄海洋博覧会跡の国立沖縄記念公園に立ち寄った入り口には右下の画像のような看板が……(×_×)

相変わらず西の空に雲が多く、五連惑星も撮れそうにないので、コンビニで夕飯を買って、早々にホテルへ帰着。

早く帰着したので、
今帰仁城の城郭を「壁紙に如何ですか?」のコーナーへアップロード。
Kaz.さんの「羽村動物小国」BBSへ書き込み、
家にいるときには、メール無精で、返信なんて滅多にしないのに、
沖縄に来ているときに限って、こまめにメールを書いたりしました。が、しかし……気合い入れ過ぎたメールだったのかも(謎)

ホテルロビーのISDN公衆電話からアクセスしたのですが、
隣の電話機には、スーツを着た白人の大男が携帯端末を接続して、メールのやりとりをしているようでした。
ビジネスホテルらしい一幕ですが、
横では、僕がにやけながら、パソコン画面には沖縄の観光地の風景を表示させています。
「モバイルもいろんな使い方があるのだな。」と思った次第です。

最終日の一。「知念村」につづく。
2002年6月10日記

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