演奏は、素人なので……。
ショパンワルツ 作品64の1
いわゆる小犬のワルツです。容量の関係から最初の42.954秒だけf(^ー^; リピートを省略してます。462kbyte。'98/10/1
鍵盤楽器暦
- 物心ついた頃には、親にピアノを仕込まれていた。親爺の趣味だったのだが、主に母親(此方は保母免許のための、苦しみのピアノ)にスパルタ教育をされたため非常に嫌な思いをした。今でも「ピアノなんて弾けなくても良いから、健全な幼児期、少年期を送ったほうが絶対に精神衛生に良い。」と思う。後にくらもちふさこの「いつもポケットにショパン」を読み「そうか、ピアノってこういう風に楽しむんだ。」と知る。が、それは、十年以上後の話。小学校に上がる前にバイエルは終わってたと思います。
- 嫌嫌ながらも小学生の間は先生について習いました。ブルグミューラー、ソナチネ、ソナタとお決まりのコースを辿る。ハノンとかチェルニーも平行してました。ソナタの上巻で終わった。
- 中学生に上がり、漸く先生の所に通うことを免除される。二年生と三年生の時、学校の「コーラス大会」でピアノの伴奏を勤める。でもリズム感が無いので、伴奏には不向きだったと思う。KeyBoadLand誌に付いていた佐野元春などの弾き語り符を弾きながら、ご近所迷惑省みず、歌って楽しみました。軟式テニス部の部員だったんですが、二年生の冬は寒いので級友と放課後に「リコーダー愛好会」と称して笛を吹いて遊んでました。三年生の時は前出のYE君と教室のオルガンでYMOを連弾して遊んでました。
高校三年生の文化祭。クラスの模擬店を全然手伝わなかったお詫びに、広告代わりのハッピを着てます。 |
- 高校一年の時、他校の文化祭でCASIOPEAの「DOMINO LINE」を演奏していたバンドに感銘する。早速、持病のガングリオンを理由にテニス部を退部。楽器を購入するために近所の寿司屋でバイトを始めた。得意技はキュウリの薄切り。十万円溜まったところで、KORGのPOLY800(今でも動作します。)を購入。二年生の文化祭で、浜田省吾、爆風スランプなどのコピーバンドで出演。オリジナル曲も三曲作った。このころ近所の高校にも顔を出し、カシオペアやスクウェアーのコピーもした。ベースの人が持っていたCASIO「CZ-1100」でデジタルっぽい音を、POLY800でアナログの音を出してました。三年生の時はサザンオールスターズ。卒業コンサートではレベッカをコピー。
- 大学生になり、家庭教師のバイトで溜めた金でCASIO「CZ-1」を購入。これは音作りをする素人には最高のシンセサイザーです。電源系統の故障のため暫く音を出せなかったのですが、本日、立川のサービスステーションに修理を依頼してみました。果たして治るかな?しかし、入学して暫くたったころ、ボーカルの女に「言い寄られて困る。」と根も葉もない噂を流され、好きでもないのに振られてバンドを首になる。二回生の春休みに近所の大学のサークルに拾ってもらう。合宿の当日に「こんにちは。」と初対面の挨拶をし、そのまま五泊六日の怒涛の合宿に参加。当時、このサークルには音作りをするキーボーディストが居なかったため、重宝されるとともに「ピアノやってました。」と気軽に参加していた女の子の職を奪ったため、嫌われてたんじゃないかなぁ。レベッカから始めて、レッドウォーリアーズ、エアロスミス、シーナ&ザ・ロケッツ、ジギー、BOWY、SHOW-YA、CASIOPEA、SQUARE、PRINCESS
PRINCESS、アン・ルイス、山下久美子、パーソンズ、浜田省吾、今井美樹、TOPS、PERL、ドリカム、etc.何でもやりました。半分は曲名、バンド名も解らないまま「これね。」とテープを渡されてやってました。最大数7バンドを掛け持ちすると、合宿では毎日2時間/バンド×7=14時間+夜中のセッション、明け方の音作り、寝る間がありませんでした。これが、青春と言うものなのでしょう。二年生の秋にPSYSのコピーをやったバンドが一番充実してたかな。ヴォーカルの女の子が客席右後方の一点を凝視しながら、取り憑かれたように歌う人で、トテツモナク個性的で、彼女のバックではとても演奏がし辛い。あんなに楽器の演奏を圧倒するヴォーカリストにはその後もお目にかかれませんでした。残念ながら、天皇制打倒を主張する革命家と恋に落ちて、サークルを辞めてしまいました。うーん。彼女はその後「まともに卒業した」と言うことですが、人間って奥が深いですね。近所の学校のサークルとは別に、地元でもEPOのコピーをやってました。EPOは、難しかったですけど、楽しかったです。卒業と同時にバンドはやめました。
- 現在は、時々電子ピアノ「セルビアーノ」でヘタクソなショパンを弾いてます。
希に、友人の結婚式でBGMを担当します。
- 以上のクロニクルは多少脚色が入っています。
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最後に修正した日:1998年10月1日